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最高裁判所第三小法廷 昭和37年(オ)232号 判決

上告人

荒川林産化学工業株式会社

右訴訟代理人

稲本龍助

被上告人

中島勝

被上告人

安野新一郎

右両名訴訟代理人

高橋吉久

主文

原判決中上告人に対し金額七七万一、〇〇〇円、一五万五、〇〇〇円および二〇万円の各約束手形金ならびにこれに対する遅延損害金の支払を命じた部分を破棄する。右部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

原判決中その余の部分に関する上告人の上告を棄却する。

前項の部分に関する上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人稲本龍助の上告理由第一点について。<省略>

(同第二点については判断せず。)

同第三、四点について。

(一)  原判決は、所論第一点に対する説示冒頭に摘記したような事実関係を認定し、広川忠義が訴外会社の名義を使用して本件手形六通を振り出したのは、手形の偽造ではなく、同人が代理権を踰越してなした無権代理行為であるが、その相手方たる被上告人および沢江惣治郎は本件手形の善意の取得者であり、かつ善意たることにつき正当の事由があつたから、上告会社は右手形金の支払義務を負うべきであると判断したのである。原審の前記認定事実中訴外会社山陰出張所が訴外会社の正規の出張所であつたとの点および本件手形は広川忠義が訴外会社山陰出張所の業務拡張のための資金調達の手段として振り出したものであるとの点は、挙示の証拠により首肯しえられなくはなく、採証法則違背をいう所論は、畢竟、原審の専権に属する事実の認定を攻撃するものであつて、採用できない。

(二)  しかし、本件手形のうち(4)(5)(6)の手形について、沢江がこれを訴外会社において真正に振り出したものと信ずるにつき正当の事由があつた旨の原審の判断は、いかなる具体的事情をもつて正当の事由とみなしたのかを判文上から毫も看取することができず、これでは、本件(4)(5)(6)の手形の振出行為につき民法一一〇条の規定を類推適用するに足る要件事実を確定したものということはできない。理由不備をいう所論は理由があり、原判決中上告会社に対する本件(4)(5)(6)の手形金ならびにこれに対する遅延損害金請求を認容した部分は、この点において、破棄を免れない。

(三)  本件(1)(2)(3)の手形について、原審が前記認定事実に基づき上告会社に右手形金支払義務があると判断したのは正当である。本件において、原判決が判示するところによれば、被上告人両名は「本件手形は真正に訴外会社が発行したものであると信用し」、「本件手形を善意で取得し」たというだけあつて、広川が代理人たる権限に基づいて署名代理の方法で本件手形を振り出したと信じたかどうかは解明していないが、代理人がその権限を踰越して署名代理の方法で本人名義の手形を振り出した場合において、相手方が本人が真正にこれを振出したものと信ずるにつき、正当の事由があるときは、民法一一〇条の類推適用により、本人がその責に任ずべきものと解するのが相当であるから、前叙の点はいまだ原判決を瑕疵あらしめるものとはいえない。原判決には所論の違法はない。また、論旨中本件(1)(2)(3)の手形が偽造のものであるとの事実を前提として原判決を論難する部分は、原判示に添わない主張であつて、その前提において失当である。

同第五点について。<省略>

(裁判長裁判官柏原語六 裁判官石坂修一 横田正俊 田中二郎)

上告代理人稲本龍助の上告理由

第一、二点<省略>

第三点 原判決は表見代理、無権代理につき法律の解釈又は適用を誤り審理不尽又は理由不備の違法がある。

原判決は「表見代理関係は振出人として記載された訴外会社と実質の受取人である控訴人等との間について考察せらるべきである」と判示したるところ、本件手形の所持人そのものが安野であり、その手形所持人である安野そのものが本件手形の偽造手形なることを熟知していたこと既に指摘したように乙第十二号証の三、並びに沢江と安野の両名が上告人会社に来社し広川を告訴しないでくれと繰返し懇願した事実(第一、二審証人玉利正、第一審証人辻村義一の各証言参照)に徴し極めて明白寸疑の余地なき本件の場合において表見代理の関係は何等発生しないこと事理明白の事に属する。蓋し本人の名義を詐称し若しくは偽造行使する場合は無権代理行為でないこと論を俟たないからである。

本件は広川が自己の名義で越権行為したのでなく、訴外会社の代表社員名義で本件手形を偽造行使したのであるから、かような手形は当然上告人は何等の責任を負担しないこと自明である。況んや被上告人等が本件手形の善意取得者ではなく悪意の取得者であるから、上告人はかような偽造手形に対し何等の責任を負うことがないこと勿論である。

仮に広川の本件手形の振出が無権代理としても無権代理の場合は本人は追認をなさない限り何等責任を負うことなきものである。追認とは無権代理行為の効果を本人において引受ける旨の一方的意思表示を謂うものであるが、本件の場合上告人は本件手形につき追認をなしたること断じてないこと本件記録上寔に明瞭であるから、上告人がかような偽造手形に対し何等の責任を負うことがないこと寔に論を俟たないところである。即ち無権代理ならば追認がなければその効果を発生しないこと民法第百十三条により明かである。然るに本件の場合は広川の偽造手形なるを以て上告人が本件手形の振出を否認し支払を拒絶したことは甲第一号証の株式会社三和銀行船場支店作成の付箋に偽造手形なるを以て支払拒絶の旨明記せられたる事実並びに昭和三十六年十月三日送達を受けた被上告人が新たに提出した甲第二号証の公証人安田慶嗣作成の支払拒絶証書に偽造手形なるを以て支払拒絶の旨明記せられたる事実によるも明白寸疑の余地がない。本件手形中本件訴訟前に呈示せられたのは甲第一、二号証の偽造手形のみであること並びにその各呈示に対し上告人が何れも偽造手形なるを以て支払拒絶した事実即ち本件手形を否認した事実は本件記録上寔に明瞭である。その他の本件手形(甲第3、4、5、6号証)はいづれも訴訟前に呈示をなさず本訴に於て始めて訴訟呈示を受けたものななるところ甲第3、4、5、6号証の本件手形も全部偽造手形なるを以て、上告人が本件手形の振出を全部否認して支払を拒絶せること本件記録上又寔に明白である。即ち上告人が本件偽造手形を全部否認するものなるを以て上告人の追認なき本件偽造手形が無効なること事理極めて明白であつて寸疑の余地がない。然るに原判決は斯かる本件手形を目して「広川が訴外会社の名義を使用して本件手形を振出したのはひとえに会社のためにする意思を以てその代理人としてなしたものであるから右手形振出は偽造ではなく(中略)同人の代理権限を踰越してなした無権代理行為と目すべきものである」と判示したことは全く常規を逸した不法の判決であつて広川に会社を代理して手形振出の権限のないこと第一審証人玉利正証言「広川は単なる嘱托員で手形振出の権限はありません」第二審証人玉利正証言「(問)被控訴会社では手形の発行は全部本社でするのか。(答)そうです」「(問)東京出張所で手形を発行することは。(答)ありません、全部本社でします」「(問)従つて出先に手形を発行する権限は勿論ないね。(答)ありません」第一審証人辻村義一証言「私には手形振出の権限はありませんし勿論広川にもありません」並びに沢江と安野と両名が上告人会社に来社して広川を告訴しないでくれと繰返し懇願した事実(第一、二審証人玉利正、第一審証人辻村義一の各証言御参照)に徴し極めて明白なるに拘わらず、しかも原判決は「会社を代理して手形を振出すことについては訴外会社として広川に対し全くなんらの権限を付与していなかつた」と認定しながら上告人を敗訴せしめたのは之れ等重要な証拠の存在を悉く無視して、本件手形偽造者自体の虚構の供述即ち本件手形偽造者そのものである広川の真実を離れ常識を逸した虚構の供述を措信したのは全く不可解であつて、原判決はこの重要なる点につき何等首肯するに足るべき合理的説明を尽さずして斯かる経験法則に違背し経済常識を外れた重大な認定をしたことは所詮偽造手形まかり通ることを認めんとするに帰し、その会社に及ぼす悪影響は真に重大と謂わねばならぬ。訴外荒川林産化学合資会社の手形振出は会社代表者の専権に属し他の何人も振出の権限はない。又重要なる会社及びその代表者の各記名印及び印章は会社代表者が本社において保管することは当然過ぎる程当然である。本社に於ても斯かる重要印鑑及び記名印は何人も勝手に之れを使用し得ないものであること勿論である。また会社の手形振出は会社債務を負担する会社経営上の重要事であつて苟しくも出先の一嘱托員に斯かる権限のないこと絮説を要しない。況んや出先の一嘱托員に対し会社及びその代表者の各記名印、及び印章を偽造して手形の偽造行使を許容するというようなことは、凡そ如何なる会社においても断じて有り得ない全く想像もつかぬ恐るべき虚構であることは苟しくも経済常識あるものならば直ちに理解し得るところである。右のように、かような荒唐無稽の虚構は全く常識を逸脱した創作と謂う外なく、社会通念上全く何等の理由のない一顧の価値なきものであるに拘わらず、原判決は「辻村は、広川に三〇〇万円乃至四〇〇万円の枠で手形発行の権限を認めるように本社に禀請することを約したので広川は右権限が近く認められるものと思い、その頃訴外会社及びその代表社員荒川正太郎の各記名印及び印章を作成しこれを使用して山陰出張所の営業資金にあてるため昭和二九年一〇月から同年一二月にかけて訴外会社を振出人名義として受取人欄を白地とした本件約束手形六通を作成し」と認定したが、原判決は何等首肯するに足るべき理由を判示せずして斯かる曖昧な漠然たる認定を前提として上告人の主張を排斥したのは原判決が一方で広川に会社を代理して手形の振出の権限が全くない事実を認定しながら他方で手形振出の権限のないことを無視するのは寔に重大なる矛盾と謂わねばならぬ。斯かる原判決は所謂採証法則に違背し法律の適用を誤り理由齟齬又は理由不備の不法ある判決と謂はねばならない。原判決はこの点においてもまた破毀せられるべきものと信ずる。

第四点 原判決は会社を代理して手形振出の権限がない者の振出した偽造手形につき法律の解釈を誤り理由齟齬又は理由不備の違法がある。

原判決は「同出張所の業務は原料を入手してこれを本社の直属工場へ発送することのみであり会社の基本的営業行為たるロジン、テレビン油の製造、販売には全然関与することがなかつたのであり、また広川は前記のように毎月数百万円の金額に達する取引をなしその資金繰りのために後記のように会社から送付されてきた手形を地元の銀行で割引いてもらうのを常としていたけれども、すすんで会社を代理して手形を振出すことについては訴外会社として広川に対し全くなんらの権限をも付与していなかつた」と判示し、広川の職務権限は原料を入手して本社の直属工場へ発送することのみであり広川は会社から送付されてきた手形を地元の取引銀行で割引いてもらうのを常としていたけれども会社を代理して手形を振出すことについては訴外会社として広川に対し全くなんらの権限をも付与していなかつたことを認定した。また「本件手形はいづれも後記のごとく広川の権限である原料買付、同採取のための人夫雇入等のため当該取引の相手方に対し代金支払の手段として振出されたものではなく」と判示し、亦「広川に手形振出の権限が許与されていなかつたことからして当裁判所は本件手形振出行為については商法第四二条または第四三条を適用して広川の権限を肯定すべきものではないと考える」と判示した。

以上のうち、同出張所とあるは訴外会社の山陰出張所が存しないのであるから之れを広川と訂正さるべきもので、その他広川に会社を代理して手形振出の権限が全く付与されていなかつたことを認定し、上告人の主張を認定せられたる以上、上告人に何等の責なきこと明かであつて被上告人等の請求は之れを棄却すべきものなること正に当然の事理なるに拘わらず、意外にも、原判決は「山陰出張所の業務拡張のための資金調達の手段として振出されたもの」と認定し上告人に責を免れない旨敗訴の判決を言渡されたのは真に不可解であつて、上告人の全く意外とするところであつてかような不当の判決に対して断じて承服することができない。(広川に訴外会社の手形振出の権限のないことは第一、二審証人玉利正、第一審証人辻村義一の各証言、乙第十二号証の三、御参照)

そもそも原判決の「山陰出張所の業務拡張のための資金調達の手段として振出されたもの」とは如何なる意味なりや、その趣旨全く不可解である。広川は訴外荒川林産化学合資会社の出先の一嘱托員に過ぎない。その職務権限は原料を入手して本社の直属工場へ発送することのみであり、買付原料代の支払、採取のための人夫賃の支払のため本社よりの送金を受取り及び本社よりの送付手形を割引いてもらうに過ぎない、広川が会社を代理して手形を振出すことについては会社として全く何等の権限を付与していなかつたこと勿論であるから、かような一嘱托員の広川が「山陰出張所の業務拡張のための資金調達の手段として振出されたもの」とは全く根拠のない虚構に過ぎないこと自明であるからである。洵に経済常識を逸脱した創作という外なく、全く不当の認定と謂はねばならぬ。第一審判決においては「同会社は訴外広川をして訴外辻村義一の指図の下に事実上の行為を執行させていたにすぎない」「訴外広川忠義の担当職務が前段認定の通りであり同人は偽造の同会社印及び代表者印を押捺して本件各手形を振出しているのであるから訴外広川に手形振出の権限のないことを考え合わせると、これらの行為は訴外広川の担当する職務についてなされたものということができず従つて広川忠義の右行為は同会社の事業の執行に関するものということはできない」と認定されたるは正に本件の真相を直視したものである。然るに原判決は本件手形偽造者そのものたる広川の荒唐無稽の虚構の言を鵜含みにして、他に何等の証拠なきに拘わらず、また広川が会社を代理して手形振出の権限は全くないこと極めて明かであるに拘わらず(第一、二審証人玉利正、第一審証人辻村義一の各証言及び乙第十二号証の三、御参照)、しかも原判決もまた広川が会社を代理して手形振出の権限は全くなきことを認定しているに拘わらず、原判決は既に指摘したような重要な証拠の存在を悉く無視して、広川の無権代理行為と目すべきものである旨及び表見代理の規定が適用される旨判示したのは之れ重大なる事実誤認に基く断定を前提とするのであつて、原判決は採証法則に違背し、法律の適用を誤り論旨矛盾撞着且牽強附会で全く独断的見解を以て裁判した理由齟齬又は理由不備の不法ある判決と謂はねばならない。原判決はこの点においてもまた破毀を免かれないものと信ずる。

第五点 <省略>

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